世界の出来事

写真関係

放射線関係

医短関係

1839

1875

1880

1890

1895

1896

1898

1899












ロンドン条約の発効(写真廃液海洋投入処理の全面禁止)

 

 

ダゲレオ:写真発明



ハイドロキノンの現像作用発見

ハーター、ドリッフィールド:H&D式感度測定法



EK社:片面X-rayペーパー発表







クルックス:新型放電管Crookes管の考案


レントゲン博士(50歳)X線発見
エジソン:タングステン酸カルシウム蛍光板開発
ヴォイト:最初のX線治療
マッキンリ:X線映画撮影の試
キュリー夫妻:ラジウムとポロニウム発見
陸軍医学校に本邦発のX線装置設置(シーメンス社製感応コイル式)
ラザフォード:α腺、β腺を発見

1901
1904
1905
1909
1910

日露戦争
ポーツマス条約
ハレー彗星大接近

実用的タングステン酸カルシウム蛍光体増感紙を開発

レントゲン博士第1回ノーベル物理学賞を受賞
国産X線装置完成(島津製作所)1号機病院に設置
陸軍医学校エックス放射学講座を開講
キュリー夫人放射線理論発表
バッヘン&ゲータ:消化管造影剤に硫酸バリウムを使用
ラジウム遠隔大量照射装置を制作

1912
1913
1914
1915
1916
1917
1918
1919
1920

明治天皇崩御(大正スタート)
第一次世界大戦勃発
パナマ運河開通
第一次世界大戦終結
国際連盟発効

EK社:X線用ガラス乾板発売
EK社:片面乳剤X線フィルム(ニトロ・セルロイド・ベース)発売
パターソン社:両面塗布フィルム開発
EK社:両面塗布フィルム発売(高感度化実現)
六桜さくら:X-ray紙発売
ウィルジラ:X線センシトメトリ(X線露光)法を提案
ジョーンズ:粒状性を測定

灼熱型電子X線管クーリッジX線管を開発
散乱X線除去用グリッドが考案
東京電気:ガスX線管球(ギバ)の国産化
スチーブンソン:ラドンシードを開発
バーンズ:トリウム造影剤を腎盂造影法に使用
ウォーターズ:副鼻腔造影法(Waters法)案出
カルドウェル:副鼻腔造影法(Caldwell法)案出
メイヤー、タウン、ステンバース:側頭骨、乳様部などの撮影法が多く思案
ハウザー:生体に対する最初の上肢静脈造影(無機ヨード造影剤)を報告
ダンディ:腰椎穿刺による気脳造影を報告

1921
1922
1923
1924
1925
1926
1927
1928
1929
1930

関東大震災、日本レントゲン学会の創設
治安維持法、普通選挙法施行、大正天皇崩御(昭和スタート)
健康保健法施行
世界大恐慌始まる

グロッカー:増感係数(増感率)を定義
EK社:不燃性X-rayフィルム(セルロース・アセテート・ベース)発売
ブロンコースト:初めてX線像の鮮鋭度、コントラストについて言及

間接撮影法の原理発表(シング)
ボーケイジ:断層・断面撮影法の原理の特許獲得
エジソン:二極整流管(ケノトロン)を開発
コンプトン:Compton電子放射(Compton効果)を発見
ガルビン:視神経孔撮影法を考案
高電圧撮影方式の試み
パウリ:Pauliの排他律を提唱
タウン:頭部前後軸位撮影(Town法)を発表
最初の技術者養成機関、島津レントゲン技術講習所が開設
モニツ:ヨウ化ナトリウム造影剤で脳血管造影を行う
レイノルド:レンズを使用した最初のエックス線映画法を行う
リヒトヴィッツ:人の経静脈性尿路造影に成功
ステンバース:側頭骨錘体部正面撮影(Stenvers法)を考案
第二回国際放射線医学会議にて、X線の国際単位にR(レントゲン)が採択
フォースマン:心臓カテーテル法を考案
ローレンス:サイクロトロンを考案

1931
1932
1933
1934
1935
1936
1937
1938
1939
1940

満州事変
上海事変
日本放射線医学学会創立
2.26事件
日中戦争
第二次世界大戦、日本医学放射線学会の誕生

パターソン社:蛍光スクリーン発売
さくら:X-rayフィルム発売
ヴィースト:鮮鋭度の尺度として細隙幅法を提案
フジ:間接用X線フィルム発売
ヴァーストリン:鮮鋭度の尺度として傾斜角度法を提唱
オリエンタル:X-rayペーパー発売
カールソン:ゼログラフィを実用化
マクマスターら:ゼロラジオグラフィを考案
セルウィン:粒状度の評価法にSelwyn法(RMS粒状度)を提案
EK社:高感度高コントラスト四肢用撮影フィルム発表
ニトカ:鮮鋭度の尺度として不鮮鋭指数法を提案
フジ:間接用X線フィルム発売
さくら:間接フィルム発売

バン・デ・グラフ:粒子加速器(Van de Graff装置)を考案
コッククロフト、ウォルトン:原子核の人工破壊に成功
シャドウィック:中性子を発見
J.キュリー夫妻:人工放射性核種を発見
フェルミ:原子核の人工変換に成功
湯川秀樹:中間子の存在を予言
ローレンス:サイクロトロンを使用して、人工放射性核種を作る
古賀良彦ら:X線間接撮影法の開発
大阪大学と理化学研究所でわが国最初の小サイクロトロンが稼働
診療用X線装置取締則が公布、制定
電気工作物規定の改正の公布、制定
X線量計検定規則の公布、制定
診療用X線装置取締則施行に関する件依命通牒の公布、制定
古賀教授(東北大)初めて胸部間接集検システムを導入
ワトソン:横断断層撮影装置を考案
シュラー:側頭骨岩様部撮影(Schuller法)の案出
ストーン:速中性子治療を始める
ハーン:ウランの原子核分裂を発見
カールトンら:共振変圧器型加速器を発表
細江謙三ら:人の心臓大血管造影をX線映画法で撮影

1941
1942
1944
1945
1946
1947
1948
1949
1950

太平洋戦争
診療X線技師法の公布、施行
診療X線技師養成所指定規則の公布、施行
日本放射線技術学会の創設
広島・長崎に原爆投下、第2次世界大戦終戦
国際連合設立
日本国憲法公布
ビキニ環礁で原爆・水爆実験始まる
ペンシルバニア大学で電子計算機ENIACを完成
日本放射線技師会の設立
日本X線技師会創立
湯川秀樹博士ノーベル物理学賞を受賞

イルフォード社:現像主薬フェニドンの発明
パコ社:世界初X線フィルム用自動現像機発表
フジ:レントゲンフィルム用現像剤・定着剤の開発
EK社:三酢酸セルロースの不燃性フィルムを製造
フジ:直接用X線フィルムの製造再開
大日本塗料:MS増感紙と蛍光板を再建第一号として発売
フジ:X線フィルム現像液レンドールの発売

カーストら:ベータトロンを制作
世界初医療用ベータトロンが稼働
フェルミ:シカゴ大学で原子炉を建設、原子核分裂の連鎖反応に成功
デュシック:超音波技術を初めて医学に適用
マクミラン:シンクロトロンを発明
フリードマン:X線スペクトロメータを発明
パーセル、ブロッハ:核磁気共鳴法の核の磁気モーメント
サン、ポーチャー:多軌道断層ポリトームを制作
モルガン:蛍光板撮影方式のX線テレビジョンを発案
コルトマン:イメージ・インテンシファイアを開発
バーガー:Burger'sファントム
フリードリッヒら:イリジウムの遠隔照射装置

1951
1952
1953
1954
1955
1956
1957
1958
1959
1960

結核予防法公布、日米安全保障条約
診療X線技師法制定
テレビ放映開始
ビキニ水爆実験、第5福竜丸事件
ソ連世界初の人工衛星打ち上げ成功
昭和基地建設
東京タワー完成
明仁皇太子、美智子さまご成婚
カラーテレビ放送開始、安保闘争

フジ:不燃ベース(TAC)の採用
フジ:高感度X線フィルム(TAC、黒箱)発売
EK社:最初のローラー型自動現像機(処理時間6分)発売
フジ:直接用高感度フィルム発売
フジ:最初のハンガー型自動現像機発売
エレマ社:ハンガー型自動現像機発売
デュポン社:ポリエステル・ベースのX線フィルム発売

世界初コバルト遠隔大量照射装置が稼働
I.Iの開発(米国コルトマン他)
電離放射線障害防止規制制定

診療X線技師学校設立認可
第1回技師学校入学式、20名入学
学校長西岡時雄、講師内田勝、講師宮永永一郎就任
診療X線技師学校則承認、診療X線技師法の規定校に指定
第1回診療X線技師特例試験施行
第2期生25名入学
校舎、病院超高圧レントゲン室より放射線科3、4階へ移転
第2回特例試験施行
技師学校1期生15名卒業、3期生30名入学
第1回診療X線技師国家試験施行
第1回全関西診療X線技師学校対抗体育大会挙行
技師学校2期生23名卒業、4期生30名入学
技師学校3期生30名卒業、5期生31名入学
学生自治会結成、開校5周年記念式典挙行
宇山康夫学校長就任
技師学校4期生28名卒業、6期生18名入学
教室、放射線科4階から高電圧治療室よりへ移転
立入弘学校長就任
技師学校5期生26名卒業、7期生26名入学
吉井義一講師就任
技師学校6期生15名卒業、8期生31名入学
学生代表、学校移転を希望(コバルトが教室となりに搬入不可能なため)
校舎、石橋分院北山上棟へ移転
技師学校7期生26名卒業、9期生28名入学
望月捨晴、内田勝講師に就任

1961
1962
1963
1964
1965
1966
1967
1968
1969
1970

米国ケネディ大統領就任
初の宇宙中継、ケネディ暗殺
東海道新幹線開業、東京オリンピック開催
ソ連無人衛生「ルナ9号」月に到着、ビートルズ来日
小笠原諸島返還
「アポロ11号」月面着陸”月面に人類の第1歩”
大阪万国博覧会が開催

さくら:X-ray自動現像機1型発売
フジ:直接用フィルムの発売
EK社:90秒処理システム発表
デュポン社:3分30秒システム発売
フジ:最初のローラー型自動現像機発売
フジ:直接フィルムの3分30秒処理化
EK社:90秒システム発表
フジ:直接用フィルムのPET化       
フジ:直接用迅速処理フィルムの発売(90秒)
フジ:間接用フィルムの発売(FX)
フジ:X-rayフィルムの全面PET化

2重造影法の実用化(Dr.白壁)

速水昭宗講師に就任
技師学校8期生27名卒業、10期生25名入学
開校10周年記念式典挙行
技師学校9期生24名卒業、11期生12名入学
技師学校10期生11名卒業、12期生13名入学
技師学校11期生12名卒業、13期生12名入学
技師学校12期生10名卒業、14期生14名入学
分院内馬場跡、整地される(狭っぱの誕生)
専攻科設置を大阪大学総長届け出
技師学校13期生9名卒業、技師学校15期生24名、専攻科1期生4名入学
立野久義、森井恒夫講師就任
医療技術短期大学部設立準備
今川房之介、津堅房弘講師就任
1期生36名診療X線技術学校生として入学
加納憲二教授および今川房之介講師着任
黒田芳郎助手着任
技師学校14期生11名、専攻科1期生4名卒業、専攻科2期生7名入学
牧野利雄、森川薫講師就任
内田勝助教授、森川薫講師着任
森茂教授着任、曽我部秀一教授着任
技師学校15期生23名、専攻科2期生7名卒業、専攻科3期生9名、2期生34名入学
医療技術短期大学となる
藤田良博助手、林智講師着任
3期生39名入学
林周二講師着任
1期生卒業、4期生32名入学

1971
1972
1973
1974
1975
1976
1977
1978
1979
1980

ベトナム戦争終結
日中平和友好条約調印
銀価格暴落

フジ:I.I間接用フィルムの発売(RX-Fスポット)
3M社:ドライマックスシステム発表
EK社:緑色発光希土類増感紙・オルソシステム発表
EK社:高感度マンモグラフィ用システム(Min-R)発表
フジ:GRENEXシステムの発売「第1世代」
フジ:明室機器「ECシリーズ発売」
フジ:乳房撮影用希土類システム発売(ハイマンモシステム)

X線CT開発
頭部CTスキャナー発表(EMI社)(英国ハンスフィールド他)

2期生卒業、5期生20名入学
石田修助教授着任
3期生卒業、6期生37名入学
林周二助教授病死退職
4期生卒業、7期生41名入学
第1回海外技術協力事業団(OTCA)レントゲン技術集団研修コース8名受け入れ
山下一也助手着任
5期生卒業、8期生38名入学
6期生卒業、9期生40名入学
第3回OTCAから国際協力事業団(JICA)となった研修コース4名受け入れ
7期生卒業、10期生39名入学
小竹武助教授着任
8期生卒業、11期生38名入学
9期生卒業、12期生34名入学
10期生卒業、13期生41名入学
11期生卒業、14期生39名入学
JICA帰国研修員巡回指導を小竹武、森川薫ら実施

1981



1982


1983


1984


1985


1986


1987


1988


1989


1990

老人保健法の制定
日航機墜落、搭乗した医短保健体育学栗原教官一家死亡
チェルノブイリ原発事故
昭和天皇崩御(平成元年スタート)

フジ:微粒子オルソフィルムの発売「第2世代」
フジ:ICRでFCR発売
フジ:間接MI-FXの発売
EK社:T粒子乳剤発表(RMSA)
フジ:高画質オルソフィルムの発売「第3世代」
フジ:高鮮鋭度オルソシリーズ発売(シグマ粒子)「第4世代」
フジ:FCR201の発売
EK社:レーザープリンター発表
フジ:FCR7000の発表
フジレーザーイメージャー&フィルム発売
フジ:超鮮鋭度オルソシリーズの発売(シグマLIC粒子・45秒処理)「第5世代」
コニカ:コニカ45秒処理発売(SRX-501)
フジ:FCRAC-1の発売
EK社:インサイトシステム発売

 

 

人体のMR画像発表(米国オルデンドルフ他)

12期生卒業、15期生37名入学
13期生卒業、16期生39名入学
14期生卒業、17期生39名入学
JICA外国人受託研修員医療放射線技術コース開校10周年記念式典開催
15期生卒業、18期生38名入学
稲本一夫助教授着任
16期生卒業、19期生40名入学
17期生卒業、20期生44名入学
長谷川利典教授着任
18期生卒業、21期生39名入学
滝川厚助手着任
稲邑清也助教授着任
19期生卒業、22期生39名入学
JICA帰国研修員巡回指導を稲本一夫、森嘉信(医学部付属病院)ら実施
20期生卒業、23期生42名入学梅田徳男助手着任(教官スタッフ全員着任)
芦田信之助手着任
21期生卒業、24期生41名入学

1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997

阪神大震災、26期生1名死亡

フジ:処理システムCEPROSM発売 廃液量半減化
フジ:CEPROS30(シグマLIC粒子30採用)世界最速処理「第6世代」
フジ:FCR9000(大規模対応)、FCRAC-3(小型システム)の発売
フジ:ADシステムの展開(URシリーズ)
フジ:高画質用間接フィルム(胸部用)の発売(MI-FA)
フジ:CEPROSM2システム発売 世界最小補充処理

22期生卒業、25期生40名入学
原内一助手着任
23期生卒業、26期生41名入学
創立25周年記念式典
4年制の大阪大学医学部付属保健学科放射線技術科学専攻を創立
24期生卒業、27期生40名入学
25期生卒業
26期生卒業
27期生卒業、大阪大学医療技術短期大学部閉校
大阪大学医学部保健学科吹田キャンパスに移転