内田勝先生追悼文05


 

孤高のパイオニァ内田 先生を偲んで

 

                          X線8期 雄川 恭行

恥ずかしながら 恩師 内田 先生の訃報を伝え聞いた時は、お亡くなりになって既に2ヵ月が経っていました。滋賀医大で定年を迎えて17年。すっかり自分の影が薄くなっていることや、何時の日からか先生とは音信不通になっていたので、それが当然の報いと思うと先生にとても申しわけない気持ちになり、幾度も在りし日の恩師の姿を想い出している日々です。全国初の国立診療X線技師学校として昭和27年に発足し、初代校長は豪放磊落な個性で知られる阪大病院放射線科西岡時雄教授、そして第2代目の校長は冷徹気鋭の立入 弘教授に受け継がれ、開校以来の教務 内田 勝先生とのコンビでわれわれ技師学校8期生は厳しい学生生活を送っていたのは昭和34~36年でした。(因みに、立入 弘校長はやがて阪大病院長を務められた後、神戸市で悠々自適の生活を送っておられましたが、平成15318日に93歳でご逝去されています)。それから、いつの間にか半世紀の時を刻んでいたのです。あの頃、原子力時代の到来が新鮮な新聞記事になり、ある週刊誌に至っては特集欄で「放射線の専門職種であるレントゲン技師の将来は極めて有望。彼らはやがてヘリコプターを所有する生活さえ夢ではない」なんて、まことしやかに記述されたりもしたものです。そんな時代は敗戦の混乱から漸く抜け出そうとしていた時代で,教師も学生もおしなべて貧乏でした。当然内田先生もリッチではなかったのでしょう教壇に立つ先生は、いつもストライプ入り紺色の背広に茶色の短靴姿でした。そして、先生のご専門である電気工学では、電磁気学の難解な教科を手馴れた調子でどんどん講義を進めて行かれる迫力には学生もストレス過剰気味で、必死について行こうとしていたものです。なのに、期末試験では毎年欠点者が続出。追試を受けさせられて、いつも学生間で話題になっていました。そして電気工学2年目は交流学。それまで縁の無かった行列式の講義も先生の手ほどきを受けたものです。そんな厳しい教育者としての面影とは別にリベラルな感覚と行動されることに戸惑いと人間味に親近感を感じさせる先生でもありました。当時、体育の講義は阪大のグラウンドでありましたが、先生はそんな時小声で「雄川君、体操なんてどうでもえぇ、また(囲碁を)やろうゃ」とお誘い。「いゃー、欠点になったら困りますから」と渋ると、「まかしとけ、何とかなる」かくして闇取引は成立。結構二人の実力が伯仲していましたので楽で、楽しい体育授業となっていました。冷徹さと背中合わせのリベラル性を共有する内田イズムに対しては当時は親しみと反感こもごもの学生達の評価でした。

さて、私の知る内田先生が学者として本領発揮し始めたのはどうもその頃だったでしょうか。先生は予ねてからの持論であった計数撮影法を発展的に画像評価の分野に目を向けられて、技師学校でもレスポンス関数やフーリエ変換の講義を受けていました。私にはそれが妙に新鮮な印象だったので、今でもまるで数年前の事の様な気がしている位です。やがて先生の掲げた理論は、阪大病院の遠藤俊夫技師長や山下一也先生が受け皿となって最大情報撮影の研究発表シリーズに発展し、第1報から第12報位まで発表されました。不肖この私もシリーズの末席を汚させていただきました。ほどなく画像工学の道から外れてしまった私でしたが、放射線画像情報研究会(RII)はその頃発足し、さらに理論を深められて行ったと理解しています。あれはやっばり内田 勝先生がその分野に先鞭をつけて導かれた孤高のパイオニァだったからではなかったか? 換言すれば内田イズムは今も形を変えて脈々と受け継がれていると信じています。昭和274月僅か30名の学生の教務としてスタートさせて以来、3年制の専攻科から短期大学部へ、そして今では4年制の保健学科に発展した過程を想うとき、恩師 内田先生はあの待兼山の狭い教官室で幾星霜。(非常勤講師以外)ただ一人孤独の職場を守り発展させ続けられた精神力と忍耐力は到底他者の追随できるものではなかったのではないか? 数年前阪大の記念行事に出席され久々にお会いした時、痛々しいまでにお歳を召された先生のお姿が見納めになってしまいました。しかし、私のイメージする内田先生は今日も50年前にタイムスリップしていて、度の強い眼鏡と鋭い眼光・テカテカと光る額・強面(こわおもて)と相好を崩して高笑いする柔和な先生が交錯しています。

内田勝先生にご冥福を祈りつつ贈る言葉

  「先生、ご無沙汰しています。天国の住み心地は如何ですか?

 毎日退屈せず心安らかにお過ごしですか?

なが~い歳月、玉石混交の学生に教鞭を振るわれお疲れさんでした。

これからは欲を捨てた仏になって、下界の教え子達の発展を愉しんで下さい。

先生の業績は今日も教え子たちの間で、しっかり生きていますょ 

「う〜ん、そうかこれぞ男の本懐だナ ハッハッハ」と高笑いしてください。

何れ天国で仲間入りして囲碁でも教えてあげますから待っていてください」                              

                               合掌