曽我部先生追悼文03


 

「曽我部秀一先生を偲んで」

 

 

医短3期 小水 満

 

曽我部秀一大阪大学名誉教授が、201367日にご逝去され、石田隆行学友会会長は、「かけはし」に追悼文を掲載することを決定されました。曽我部先生は、長らく病気療養中とのことであり、ここ10年以上はお会いできていませんでしたが、突然の訃報にショックを受けています。曽我部秀一先生に多くのご指導を頂いた一人として、学生時代では、日夜を問わず研究室で学生との触れ合いを欠かさず面倒を見ていて頂いたこと、卒業後、時々研究室を訪問して私の他愛もない相談に対応していただいたこと、診療放射線技術学研究を指導して頂いたことなどが、当に走馬灯のように在りし日の曽我部先生が思い出されます。哀悼の意を特別な思いを感じながら、「曽我部先生を偲んで」を書くことにします。

曽我部先生は、医療短期大学部に私が入学した1969年から約15年在籍されていたと聞いています。先生が医療短期大学部に在籍された時代を知る卒業生のほとんどは、和やかで気さくな雰囲気をもっておられた先生であったことが思い出されるのではないでしょうか。当時の曽我部先生の研究室は、曽我部先生が中心になって学生からの相談や勉強の質問などに指導することは少なく、先生と集まった学生とが同化した学生の溜まり場であり、学生生活の話題で盛り上がっていたことを記憶しています。そのため、多くの学生が気楽に出入りしていたと思っています。このことは、先生に直接指導を受けた有無や成績の良悪に拘わらず、誰もが学生時代に一度は曽我部先生の研究室を訪れていたと思います。事の大小にかかわらず、先生ご自身の時間を割いて、我々の身になって熱心で真剣に且つ丁寧に面倒を最後まで見ていただいたお人柄については、今思うと頭が下がる思いです。また、先生が研究室に在室されている場合は、来るものを拒まずの精神を持っておられ、極端には24時間無制限で学生に対応していただいたように感じるほどで、曽我部先生の体力は並外れたものがあったと思っています。自称「ホルモンタンク」と言われたことを思いだします。

私は、曽我部秀一先生にいろいろな形でお世話になった諸氏が多くおられる中で、最も先生にご世話になった一人と思っています。私の診療放射線技師としての生涯の礎は、曽我部先生との出会いであり、地道に辛抱強く指導して頂いたことによるものと感謝いたしています。曽我部先生は、工学系のご出身であり、ご自身の専門ではない医療短期大学診療放射線技術学科に赴任された診療放射線技術学の中で、我々放射線技師が工学的に最も弱いところを診療放射線技師の立場で指導をしていただきました。診療放射線技術学の研究において、私が疑問に思う研究テーマの相談では、論理的に実験方法や解析方法などを丁寧に指導して頂きましたが、研究に取り組む態度などには厳しい面がありました。特に、どのような厳しさがあったかを具体的に表現できませんが、曽我部先生の研究に対する姿勢や態度に厳しさを感じさせるものがありました。このことは、我々と同化して、画像情報処理に関連した診療放射線技術学の分野の研究を継続的に指導して頂けたものと大変感謝しています。

 現在、学生教育に携わっている者として、曽我部秀一先生に教えていただいた、学生と共に気持ちが共有しながら指導することを心がけたいと思っています。曽我部秀一先生、長い間大変お世話になり大変ありがとうございました。安らかにお休みください。