曽我部先生追悼文05


 

「曽我部秀一先生を偲んで」

 

 

医短10期 大西 英雄

 

本年6月に、曽我部秀一先生がご逝去されたとの突然の悲報に、深い悲しみに包まれております。謹んでお悔やみ申し上げます。曽我部先生は、今の私の教育理念や研究手法の考え方などを一から教えて戴いた恩師で、本当に親身になって御指導いただきました。

 曽我部先生と私との深いお付き合いをさせて戴いたのは、私が滋賀医科大学付属病院放射線部に入職した時から、今日に至るまで二十数年来お世話になっておりました。当時、私は、曽我部先生に同放射線部副技師長をされていた小水 滿先生(現:大阪物療大学保健医療学部診療放射線学科 教授)と共に、X線画像理論及び画像評価の研究指導を受けておりました。特に私が印象に残っているのは、曽我部研究室にあった日立のHITACH-10Uのコンピュータを用いて、曽我部先生を中心にMTFOTF解析のプログラムを夜が明けるまで開発したことでした。当時のHITACH-10Uは、デイスク容量が8KByeの磁気ドラムで、プログラムはテレタイプに付いてある紙テープで作成しLoad and Compileを繰り返して、計算するシステムでした。今では、考えられないほど時間と労力がいるコンピュータシステムを駆使して、増感紙・フイルム系の物理特性(MTFOTFWiener Spectrum, ACF及びDQE & NEQ)などのプログラム開発及び画像評価を行っていました。曽我部先生は、その物理特性の内容や原理及び現象を根気よく、わかり易い数式等を用いてお教えいただきました。小水先生と二人で夜中まで処理していたことを思い出します。また、曽我部先生が数値方程式の解析をノートに書き綴り、それを楽しそうにFortranのプログラムされている姿は今でも目に浮かんできます。先生は良く独り言をいってプログラム作成を楽しんでいらっしゃいました。

このように、私は曽我部先生から、沢山の大切な理念、考え方及び知識を学び取りました。先生が一度、私に言った「砂上の楼閣ではダメです。基礎がしっかりしていないとその上に立つ知識は脆く崩れるよ」の言葉が非常に印象に残っています。私も現在、大学で教鞭を取っていますが、曽我部先生の言葉の意味を、噛み締めて学生達に伝えて行きたいと考えております。

曽我部先生のお人柄は、先生の教え子であれば皆、周知のごとく「気さくで、温和な優しい先生」でした。皆から「がべさん、がべさん」と敬愛と親しみを込めて呼ばれた時の、先生の嬉しそうなお顔が今も目に浮かんできます。怒っている姿は見たことがなく、いつもにこやかに微笑んでいらっしゃいました。そのような先生が旅立たれるのは非常に寂し思いでいっぱいです。最後になりましたが、私は、微力ながら先生にお教え頂いた考え方や理念を受け継ぎ、今後の学生教育に尽力したいと考えております。

曽我部先生、本当に、本当にありがとうござました。