曽我部先生追悼文07


 

「曽我部秀一先生を偲んで」

 

 

医短12  福西康修

 

ガベちゃんこと曽我部秀一先生。数十年前の思い出の中の曽我部先生はいつもほのかに笑っておられます。山上棟の木枠窓の教室で、電気電子と放射線工学だったでしょうか?なんだかぶつぶつとしゃべる感じで講義をされていたように思いますが、今考えてみれば技師の中の技術者としての基本の知識を教わったのだと思います。私は曽我部先生のゼミ、通称ガベゼミにも入りました。そこで初めてコンピュータの元祖のようなHITAC10(ハイタックテン)に触れました。フォートラン言語で初めてのプログラム作成にトライし、かすかな記憶の中に、逆行列のプログラムを組もうとした思い出があります。完成したのかできなかったのか思い出せませんが、本館の部屋で活動していました。IT化が急速に進んだ今となっては驚くべきことに、プログラムは紙テープに穿孔機で穴を開けて保存していました。黄色い紙テープで、長い間自分の部屋に大事に残していた記憶があります。これもまた貴重な経験でした。お正月だったでしょうか?同級生何人かで先生のお宅に遊びに行った際には温かく迎えて頂き楽しい時を過ごしました。なんとも言えない朗らかさと優しさに溢れた先生で、結婚式にも来て頂いたのですが、お話しが長く講義の様だったことも今となっては懐かしい思い出です。

山上棟は消え、大講は駐輪場となり、またひとりの恩師がこの世を去られました。昭和56年の卒業から早くも30数年の歳月が流れました。形あるものは時と共にその様相を大きく変えてゆき過去のものとなってしまいます。しかし心の中の思いではいつまでも活き活きとした記憶として大事に残していきたいです。曽我部先生、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り致します。