臨床内分泌学・免疫学
(Clinical Endocrinology and Immunology)

 代表的な臓器特異的自己免疫疾患である自己免疫性甲状腺疾患(橋本病・バセドウ病)をモデルに、 「自己免疫疾患の病因・病態」を解明する研究を行っています。

 自己免疫性甲状腺疾患は、有病率が高く標的臓器である甲状腺が容易に触診できる位置にあるため、 解析しやすいという特徴があります。また手術で摘出した甲状腺組織での検討も行いやすく、 臓器特異的な自己免疫疾患のモデルとして大変優れています。


自己免疫性甲状腺疾患の発見

橋本病

 橋本病は橋本策(はしもと はかる)(1881年5月5日-1934年1月9日)によって最初に報告されました。
 橋本は三重県伊賀町御大(みだい)で四代続いた医師の家の三男として生まれ、当時の京都帝大福岡医科大学(のちの九州帝国大学医学部)に入学し、1908年に九州帝国大学医学部の第一回の卒業生として卒業したのちも研究にはげみました。1911年4月に「甲状腺ノリンパ腫様変化ニ関スル組織的並ビニ臨床的知見ニ就キテ」を福岡医科大学第17回集談会で発表し、この内容を“Zur Kenntniss der Lymphomatoesen Veraenderungen der Schilddruese (Struma lymphomatosa)「甲状腺のリンパ節腫性の変化(リンパ節腫性甲状腺腫)」”として1912年にドイツの医学雑誌Arch f Klin Chirにドイツ語の単著で論文として発表しました。当初はそれほど注目されませんでしたが、1930年代には欧米で独立した疾患として認められ、Hashimoto's Thyroiditis(橋本甲状腺炎)あるいはHashimoto's Disease(橋本病)と呼ばれるようになり、戦後になって日本でも橋本病として知られるようになりました。

 1912年2月には Göttingen大学へ留学しましたが、第一次世界大戦勃発のため1915年に帰国、地元で家を継ぎ開業しました。名医の評判高く、三重県外からの患者も少なくなかったそうで、駅からの1.2kmの田舎道を歩いている人は橋本病院へ来る人ばかりのこともありました。1934年1月、惜しまれながら52歳で腸チフスで亡くなりました。

 1973年には伊賀町中央公民館の前庭に胸像が建立されました。











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