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 しかしながら、アイルランドの外科医であったRobert James Graves (1797年3月27日(異説あり) – 1853年3月20日)(右図) が、実はバセドウ病を最初に報告しています。当初ドイツ医学に学んだ日本ではバセドウ病と呼ばれていますが、英語圏ではグレーブス病(Graves' Disease)と呼びます。

 GravesはアイルランドのDublinで聖職者の父のもとに生まれました。1818年にDublin大学で優秀な成績で学位を取得。London, Berlin, Göttingen, Hamburg, そしてCopenhagenで学び、1818年にDublinに帰って医業につき、Meath病院の医長となりました。またDublin難病病院(County of Dublin Infirmary and the Hospital for incurables)の医師でもありました。
 Gravesは1834年に、眼球突出を伴う甲状腺腫、すなわち現在のバセドウ病に関する一連の発表を行い、1835年に頻脈と甲状腺腫大をもつ3人の患者について論文を公表しました。このうちの一人の患者は眼の症状をもっており、「眼球は見るからに大きく、睡眠中や、あるいは眼を閉じようとしても瞼を閉じることがままならないほどである。眼を開けているときには、白目の部分が角膜のまわり全てにある程度の幅で見える」と記しています。
 Gravesは脈拍や心音についても記載していて、初めてみた患者が強い心音を呈し、患者の胸部から4フィート以上のところでも心拍が聴こえたとしています。そして甲状腺腫が二次的に心機能亢進をもたらすと考え、“もしも機能的な心疾患による心悸亢進が甲状腺腫を起こすならば、器質的心疾患による心悸亢進によっても甲状腺腫がおこるはず(だから心悸亢進は甲状腺腫による二次的なものだ)”と理論づけました。

没後25年の1878年にはDublinにGravesの像が建立されました。