大阪大学 助産師 同窓会

同窓会の歴史

沿革

 大阪大学における助産師の養成は、明治9 (1876) 年3月に、大阪大学医学部附属病院の前身である大阪府病院で開始された。これは、明治8年(1875)年に産婆営業の者に府立病院における産科教習の受講が命じられたことを受けて始められたものであり、我が国で最も早い助産師養成の開始であった。同年10月には、175名の卒業生に対して日本初の産婆営業鑑札が附与された。
 明治26(1893)年には柳琢蔵教授が中心となって、産婆養成所を本学の前身である大阪醫學校に附設し、近代的な学則のもとに教育が行われた。明治35(1902)年3月でこの産婆養成所は一時中止となったが、大正3(1914)年には内務省指定認可の「府立大阪高等醫學校附属産婆養成所」と改称され、産婆教育が再開された。この時から昭和10年まで、養成所長は緒方十右ヱ門教授が務められた。
 当時の養成所の入所資格は、高等女学校2年以上の課程修了、または、これと同等以上の者であった。修業年限は2年で通学制であり、1年目は学科のみの講義が行われ、2年目には実習が主であった。学科目には看護の基礎教育も含まれていたが、主として、助産の技術面での教育に力が注がれ、卒業試験に合格したものに対して産婆名簿へ登録できる資格が与えられた。
 大正4(1915)年には「府立大阪醫科大學附属産婆養成所」、大正8(1919)年には「大阪醫科大學病院附属産婆養成所」、大正13(1924)年には「大阪醫科大學醫院附属産婆養成所」と改称されたが、教育体制はそのまま引き継がれた。大正3年の産婆教育の再開以降、毎年10名前後の卒業生が輩出され、大正13(1924)年以降は、毎年20名前後の卒業生が輩出された。
昭和6(1931)年5月の大阪帝國大學創設に伴い、「大阪帝國大學醫學部附属醫院附属産婆養成所」と改称され、大阪府における教育を継承する形で国立の機関における産婆養成が始められた。
 昭和22(1947)年に「産婆規則」が「助産婦規則」に改められたことを受け、「大阪大學醫學部附属助産婦養成所」と改称された。昭和26(1951)年8月には、保健婦助産婦看護婦学校養成所指定規則が発令され、新制度による教育段階となり、6年・3年・3年による教育制度の上に、看護学校3年、更に1年の助産婦学校を卒業後、国家試験を受験、合格したものに助産婦資格が与えられることとなった。
昭和27(1952)年には、保健婦助産婦看護婦法第20条第15の規定による助産婦学校の指定を受け、大阪大学医学部附属病院北病館に「大阪大学医学部附属助産婦学校」が創設された。昭和46(1971)年には文部省・厚生省令第1号による助産婦学校の新カリキュラムへの改正に伴い、新教科内容による教育が開始された。昭和56(1981)年に大阪大学医学部附属病院旧看護婦宿舎に学舎が移転され、さらに、平成5(1993)年には大阪大学医学部附属病院の吹田地区への移転に伴い、医学部基礎研究棟10階に移転された。昭和27(1952)年から平成9(1997)年に閉校するまでの45年間で810名の卒業生が輩出された。
 平成9(1997)年4月、助産婦教育は、大阪大学医学部保健学科看護学専攻に引き継がれた。1学年定員80名の看護学専攻の学生の中から、学部3年次に成績および面接により助産婦(助産師)選択コースの学生が選出され、学部4年次に助産学講義、助産実習が組み込まれた。平成29(2017)年度の学部における助産師教育終了までの21年間で、助産師選択コースの卒業生228名が輩出された。
平成30年度以降、助産師教育は、大阪大学大学院医学系研究科保健学専攻の博士前期課程で行われている。

<引用文献>
1.大阪大学助産婦教育百年史編集委員会編:『大阪大学助産婦教育百年史』,p3-5,1980.
2.大阪大学医学部附属助産婦学校閉校記念事業委員会編:『大阪大学医学部附属助産婦学校閉校記念誌』,p49,1997.

大阪大学における産婆・助産師養成年譜

西暦 和暦 年譜
1876年 明治9年3月 大阪府病院において岡沢貞一郎(緒方洪庵門下生)担当のもとに産婆学の教授を始める
1876年 明治9年10月 産婆学を卒業した者175名に産婆営業鑑札を付与した
1878年 明治11年10月 大阪府病院で正変2則に分け産婆教育を開始
1898年 明治26年3月 柳琢蔵が中心となり、大阪醫學校に産婆養成所を附設
1902年 明治35年3月 大阪醫學校附属産婆養成所を廃す
1914年 大正3年4月1日 府立大阪高等醫學校附属産婆養成所を開設
1915年 大正4年10月28日 府立大阪醫科大學附属産婆養成所に改称
1916年 大正5年3月 府立大阪醫科大學附属産婆養成所第1回産婆卒業生8名が卒業
1919年 大正8年 大阪醫科大學病院附属産婆養成所に改称
1924年 大正13年10月 大阪醫科大學醫院附属産婆養成所に改称
1927年 昭和2年8月4日 大阪醫科大學醫院附属産婆養成所の定員20名を50名に変更
1931年 昭和6年5月 大阪帝國大學創設に伴い、大阪帝國大學醫學部附属醫院附属産婆養成所と改称
1947年 昭和22年10月 大阪大學醫學部附属助産婦養成所と改称
1952年 昭和27年3月31日 大阪大学医学部附属助産婦学校創設
5月13日入学式挙行12名入学
1997年 平成9年4月 大阪大学医学部附属助産婦学校を廃し、大阪大学医学部保健学科に助産婦教育を継承
2018年 平成30年4月 大阪大学医学部保健学科での助産師教育から大阪大学大学院医学研究科博士前期課程での教育に変更

大阪大学助産婦教育百年史編集委員会編:『大阪大学助産婦教育百年史』,1980.より抜粋


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