高齢者医療において、看護の役割は極めて重要になります。 今、私たちに求められている役割とは何か。 この分野を目指す学生の皆さんに、 竹屋教授、山川准教授、糀屋助教授よりメッセージをお送りします。
大阪から世界に向けて発信したいこと
大阪大学大学院医学系研究科 保健学専攻
看護実践開発科学講座 老年看護学教室 教授
Yasushi Takeya
経験は宝なり
病棟医長という仕事をご存知でしょうか。臨床の現場に極めて近い場所ですが、私はそこに10年近くおりました。現場をマネージメントするのが病棟医長の役割で、他科の医師や看護師とのやり取り、ベッドの確保、クレーム対応や、患者さんの主治医も担当しますし、研修医や学生の指導も行います。患者さんの状況を把握したうえで、医師と看護師の考え方を尊重しながら様々な課題を解決する。病棟医長は、最前線に立つ現場監督のような存在で、何かあれば、夜中でも土日でも駆けつけなくてはなりませんから、長い人でも3年程度で交代する場合がほとんどです。
気がつけば、その間に大きなものを得ていました。それは、人とのつながりです。知りたいことや、困ったことがあれば、すぐに病棟の人が助けてくれますし、大学のなかで新しいことを始める時も、多くの仲間が力を貸してくれます。これは、私にとってかけがえのない宝もの。現場を知り、末端で働く人の気持ちを理解することができたからこそ得られたつながりです。有り難いことに、現在も副部長としての居場所があり、週に4日は病棟で患者さんを診ています。外来を持ちながら、認知症チームの責任者も引き受けておりますが、単にお手伝いをしているわけではありません。そこでの学びをこの学部に持ち込みたい、そう考えています。
中心は、看護師
高齢者医療は大きく変化しています。「治す」医療から「治し支える」医療への変化です。治癒することない障害や、多くの慢性疾患を抱える高齢者は、病者である以前に地域で暮らす生活者です。老年看護学を目指す人にお伝えしたいことは、高齢者医療は看護の役割が極めて大きい分野であるということです。若中年者や健常な前期高齢者とは異なり、虚弱な前期高齢者や後期高齢者の医療問題は、高齢者を病者としてみる視点だけでなく、生活者としてみる視点が不可欠で、これら諸問題を医師だけで解決することは容易ではありません。治癒できない多くのことがある一方で、支えることのできる多くのことがあります。まさに看護師の出番です。治すだけではなく、完治しない病気を抱えながらも生活者としての生活を支え、人生を支える。これは看護師の使命であり、看護師しか経験のできない喜びなのではないでしょうか。
覚悟を持つ
高齢者医療において、中心に看護師がいて、医師、薬剤師、療法士、介護福祉士、ソーシャルワーカーと連携し、生活者としての患者を支える。過去の看護学ではなかった視点です。これくらい思い切ったことを夢見なければ、老年看護学は大きく発展しないでしょうし、それは老年医学にとっても良いことではありません。私は、老年内科医は高齢者を病者として診るだけでなく、生活者としても診なさいと教えられました。看護師も高齢者を病者として看るだけでなく、生活者として看なければなりません。生活者として看るのは老年看護学の仕事です。高齢者に最も近いところで、その人らしい生活や人生に寄り添い、医師のできないことを看護師が取り組む。老年医学で足りない部分を老年看護学が支えるのです。
そのためには、研究を続けていくことが大切です。科学的根拠をもとに、医師と看護師が連携し補完しあう。それを、大阪から世界に向けて発信していきたいと思っています。看護師という職業に誇りを持ち、高齢者の生活を支えるのは看護師だという強い責任と覚悟をもってあたる。
すべては、看護師が変わることから、はじまるのです。
病気とともに生活する
私の最初のキャリアは糖尿病研究であり、主に職域にある人の健康維持、回復についてでした。その時に、たとえ軽くはない病気があったとしても、周りの環境が適切に調整できれば、病気を抱えながらもそれなりに満足して生活できるようになることを体感しました。その考えは、老年期の人への看護を考える時も根本となっています。病気になり元の生活に戻ることが100%は難しかったり、終末期であったり、さまざまな困難があります。私の主な研究領域である認知症ケアもそうです。さらに、身体的なことだけでなく、年を重ねることで起こる日常生活や人間関係の変化など自分ではどうしようもないこともあります。
ただ、年を重ねることは悪いことばかりでしょうか。長寿というのは悪いことではないと思えることが大事だと思います。大病、事件、事故で命を落とすことなく、老年期になったことをもっと喜ばしいと思える人生でありたいと思いますし、あらゆる人にもそうであってほしいと願っています。
医療の矛盾を克服する老年看護学の力
人の生活の営みは無限大です。一つの健康上の問題があり、それが治ったらすべてオッケーというわけではないのは老年期の人の特徴です。例えば、肺炎になって入院し、抗生剤の投与をして肺炎は治ったのに、「入院したらなんかボケて帰ってきた」という話は、よく聞きます。つまり医療の視点、治療するということだけで相手に関わるのは限界です。老年期を生きる人たちは患者ではなく「生活者」であることを常に念頭に置いて、今現在だけではなく、今からの生活のことも考えてかけがえのない人生を送っていただきたい、そこに多少なりと看護職が貢献できればいいなと思っています。
幸せに生きるという目標を変えずにいくために、柔軟に変えていける教育と研究を進めていきます。老年看護学は「Aの人にBをしたらよくなった」ということを集団でできるような領域ではありません。時代も変わり、一人ひとりの生活もどんどん多様になってきました。ですので、画一的な介入ではうまくいかないでしょう。つまりマニュアルはないのです。また、ある人には良いこともある人にはうまくいかないなんてことも本当によくあります。だからこそ、実践にしても研究にしても既存のやり方ではうまくいかないです。老年看護学は常に考え、やってみる。そしてまた考えるということの繰り返しです。人生をよかったなと思って終えるという不変の目標に対して、常に頭を柔らかくしていけるようにみんなで勉強していきたいです。
「1人ではうまくいかないこともみんなでするとうまくいく」
これは、私がある介護事業者の人に教えてもらった言葉です。一人の人の生活を支えるためには多くの視点で考えないといけません。意見が多いとうまくまとまらないこともありますが、一人で考えるよりは絶対に良い結果が得られます。そのため、当研究室では多職種、多業種、いろんな視点をフラットにまとめていける人材の育成にも力をいれています。
かけがえのない人生をよかったなと思えるように、老年看護学が貢献できると信じています。みなさんと一緒に勉強できる機会があることを楽しみにしています。
在宅で療養するとココロとカラダが元気になる
自身の研究テーマとして、「高齢者が住み慣れた家で最期まで過ごす」ことを目指し、アプローチする手法を、エビデンスをもって提供していきたいと考えています。この目標は、病棟看護師の頃に感じた、病院での治療では得ることのできない、在宅だからこそ、の見えない力を感じたからです。
家に帰りたい、という思いがあるにもかかわらず、治療を優先せざるを得ず、入院を余儀なくされる高齢の患者さんは、多くいらっしゃいます。しかし、入院中に疾患自体のコントロールは良好に保たれているものの、ADLや認知機能、さらには精神面でも、不調を来たすことが多々あります。そして、その場合、退院後には、病を抱えて過ごすことに対し「住み慣れた家のはずなのに…」と、想像以上に大きな負担感を感じます。これは、患者だけでなく、患者を支える介護者も同様です。
しかし、急性期治療後、疾患コントロールは不十分だが、不穏も強く、出来る限り早く家へ帰りましょう、と治療方針が決まった患者さんに、外来でお会いすると、「あの時の●●さんはどこ!?」というほど、何とも穏やかな表情で、病と向き合いながらも、前向きに過ごされている姿を伺うことができました。この時に、高齢者にとって、病とともに生き抜く中で、優先すべき目標とは何なのか、急性期病棟で勤務する身として、改めて考えさせられました。この課題に、未だ答えは見つかっていませんが、少なくとも、患者さん本人が「家に帰りたい、最期まで家で過ごしたい」という思いがあるのなら、その意思を、医療現場からのみならず、アカデミックの世界からも、全力でサポートしてみたい、と考えています。
病院と地域・在宅の壁をなくし、安定した療養生活を
老年看護が開拓すべき、地域・在宅医療のフィールドの中で、秘訣となるのは「多職種での協働」に尽きると思います。病棟では、患者さんと顔見知りになってしまうほど、短いスパンで入退院を繰り返す患者さんが多くいらっしゃいました。そこで、ただ漠然と「自宅ではどのような生活を送っていたのだろう…」と考えるものの、患者さんからの主観的な情報のみでは、リアルな療養生活が見えてくることはありませんでした。だからと言って、訪問看護師や在宅医と密にコミュニケーションを図る術も分からず、常に病院と在宅との間に「見えない壁」を感じていました。
その後、訪問看護師として経験を積んだ際には、「病院では、このケアの時、患者さんは一体どんな反応をしていたのだろう…」と、またしても、病院と地域の壁にぶち当たりました。
私が感じた、この壁は、異なるフィールド同士で繋がる「きっかけ」が不足している、ただそれだけなのではないかと感じています。在宅療養を中断しうる入院を避け、安定した生活を提供する、この目標は、病院・地域どちらにとっても、共通した目標です。両者が協働しやすい環境を作るシステムを築き、きっかけ作りを提供できないか、研究として追及していきたいと思います。そして、その協働が、最終的に患者さんの安定した在宅療養に繋がると信じています。
看護師として研究の世界に浸る魅力
学部生の頃、初めて触れた「研究」という世界に、とても胸がワクワクしたのを今でも良く覚えています。研究の過程は、とても地道で、泥くさい事が多いです。しかし、着実に進めていく実感が楽しく、新たな看護のおもしろさを、強く感じることができます。近年、看護の世界は、どんどん選択の幅が広がっています。その中で、キャリアを積んでいく方法も様々です。私自身、現場で働くタイミング、大学院への進学や、出産・子育てなど、何度も進路で悩みました。しかし、行き着く先にどうしたいのか、惹かれるものがあるか、じっくり考える良い機会になったと感じます。皆さんも、「看護師」という肩書きに縛られ過ぎず、一緒に看護と向き合ってみませんか?