大阪大学大学院医学系研究科 保健学専攻
生体病態情報科学講座(分子生化学教室)教授
平成19年6月1日、大阪大学大学院医学系研究科 保健学専攻 医療技術科学分野 機能診断科学講座(現、生体病態情報科学 分子生化学研究室)の教授に就任致しました。
私は昭和61年に大阪大学医学部を卒業後、第一内科(鎌田武信教授)に入局し、大阪大学医学部附属病院、国立大阪病院(現、国立大阪医療センター)で消化器内科(益澤 学先生)を中心とした臨床研修を行ないました。その後、本学大学院医学系研究科に入学し、生化学・分子生物学教室の谷口直之教授の下で、糖鎖と癌および肝臓疾患に関する研究を始めました。生化学を選んだ理由としては、病気を治すためには基礎医学から始めるべきだと考えたからです。糖鎖はタンパク質の翻訳後修飾をなす重要な生体分子で、ポストゲノム研究における最重要課題の1つと言われています。現代の非常に速い情報社会の中で、糖鎖研究は鈍足の歩みを続けて来ました。しかし、その重要性は分子生物学の進歩とともに明らかにされ、医学を含めた様々なライフサイエンス領域へと応用されつつあります。細胞や組織(がんと正常組織)によって糖鎖構造が変わるため、糖鎖はいわゆる"細胞の顔"とも呼ばれ、腫瘍マーカーなど様々な疾患バイオマーカーとして臨床応用されているとともに、今流行のiPS細胞の分化度の指標としても用いられています。
実際に、肝臓癌の腫瘍マーカーとして知られるAFP(αフェトプロテイン)の糖鎖の違いは、AFP-L3(フコシル化AFP)という肝臓癌と肝硬変を鑑別するのに極めて有用なマーカーとして臨床応用されています。糖鎖は単にマーカーとしての有用性だけでなく、癌転移の制御、抗体依存性細胞障害の活性抑制、増殖因子の受容体や接着分子の機能調節など様々な生物機能をもつことがわかってきました。こうした研究業績が評価され、平成15-20年に谷口直之教授(大阪大学名誉教授)を拠点リーダーとする「疾患関連糖鎖・タンパク質の統合的機能解析」という研究課題が、大阪大学21世紀COEプログラムに採択されました。糖鎖の国際的教育・研究拠点を阪大に作るという趣旨の本COEプロジェクトにおいて、私は拠点リーダーの准教授として、若手研究者の中核的な役割を担いました。このCOEプログラムからは多くの若手教授が輩出されています。その後、糖鎖研究は免疫学や感染症の研究と融合し、米田悦啓教授(医薬基盤研理事長)を拠点リーダーとするグローバルCOE「オルガネラネットワーク医学創成プログラム」(平成21~25年)として、新たな展開を見せました。次の糖鎖研究が目指すところは、様々なライフサイエンス、医学との融合研究と思います。実際に、糖鎖研究を応用した多くの臨床研究課題が採択されるようになってきました。生化学会や糖質学会だけでなく、多くの学会で糖鎖研究がごく当たり前のように発表されています。平成30年度以降は、糖鎖融合研究の黎明期が始まる予感さえします。
私の研究室では、サイエンスの面白さを十分楽しむため、1人1テーマを原則とし、自分でものを考え、自分の道を創造することを重要視します。そして2?3名の学生でチームを組み、後輩を教えながらも自分で学んで行ける非常に合理的なシステムができています。また 大講座制の特徴を生かし、他教室とも積極的に共同研究を行ないたいと考えております。保健学科には、非常に多くの優秀な人材がいます。臨床検査技師を目指すもの、企業の開発職や研究職に就くもの、あるいは医学部(医師を目指す)に編入するもの、大学の研究・教育職を目指すものなど、彼らには様々な選択肢があります。一人一人の個性を見極め、最も適した道を歩むように指導することは、教育者としての大きな務めと言えましょう。近年、新しいチーム医療の概念が提唱され、その中で臨床検査技師は重要な位置を占めると思います。ベッドサイドで仕事が出来る臨床検査技師、医師とともに研究ができる臨床検査技師、そうした未来像を描きながら、博士前期課程の学生には、保健学科にとどまらず最先端の研究、医療の現場に近いところの研究にチャレンジさせています。修士課程の研究を英語論文として、世の中に公表できることは、大きな宝になると同時に、医療・医学のスペシャリストを目指す人間(特に指導者を目指す人)にとって、非常に大切なことと思います。そして、彼らの中から将来の大阪大学医学部保健学科を背負うような人物を排出させることが、私達の使命だと感じています。
冒頭で紹介しましたように、糖鎖の研究は、診断技術の開発にとどまらず、抗体医薬、IgG大量療法、遺伝子治療の標的など、様々な医学の分野に応用されつつあります。難解な糖鎖研究には、いくつもの夢があります。多面的な医学のパズルを解くような、難しさと特有の楽しさがあります。私は子どもの頃、医師よりも将棋の名人になりたいと思っていました。昔は、どんなにコンピュータが進んでも将棋ではプロに勝てないと言われ続けていました。その理由は、チェスと違って、取った駒が使えるという将棋特有のルールが作り出した複雑さにあります。しかし、将棋や囲碁はコンピュータに勝てないというのが常識になりつつあります。現代の情報工学の素晴らしさは、人間の仕事を奪って行く危険性すら感じさせます。科学の進歩は、複雑な糖鎖研究をシンプルなものに変えることができるかもしれません。私は、AI(人工知能)の力を積極的に自分の研究に取り込んで行こうと思います。しかし、もし糖鎖研究の定跡とも呼べるストラテジーを示すコンピュータが出来たならば、ノーベル賞だと思います。糖鎖研究は将棋や囲碁以上に複雑で多様性に富んでいます。ただ私の研究の最終目的としては、単に研究のための研究ではなく、医学には基礎も臨床もなく病苦に悩む患者を救うことだけです(故山村雄一総長の「おもいでに学ぶ」より)。また、保健学科の特徴を生かし、これからの高齢化社会の中で、新しい予防医学の創成も重要と考えています。こうした幅広い医学研究を目指すためには、保健学科、医学科出身の学生だけでなく、様々な分野の経験者で医学研究を目指す人達にも、ぜひ挑戦して欲しいと思います。現在原因が不明で難治性とされる消化器疾患(膵がん、脂肪肝炎、炎症性腸疾患など)に対する新しい診断法・治療法を開発することが、私の大きな夢です。