大学受験に際し、高校3年時の冬までは、関西の国立大学で理系学部という漠然とした考えであった。将来自分が何をやりたいのか真剣に考えた際、“医療”、“開発”、“研究”という3キーワードが主になると考え、大学情報誌等でそれらを満たす学部学科を調査した。
ある日、医学部保健学科検査技術専攻というのが目に留まり、本学部学科に就学すれば、在学中に先述の3キーワードを満たせ、卒業後も3キーワードを満たす職業に携わることでできる可能性が極めて高いという結論に至った。その上で、国立大学保健学科で最も難易度の高かった大阪大学を志望した。
在学7年間で最も充実していた期間は、大学4回生から大学院2回生の3年間、つまり免疫造血制御学研究室への所属期間であった。教授、准教授、博士・修士の先輩方の指導のおかげで、研究上の知識、ノウハウ、テクニックが習得できたのは勿論、何より身についたことは“研究の推進方法”である。
具体的には、どのようなストーリー・プランで研究を進めていくか、期待する結果が出なかった際どのように対処するか、関連論文からどのようにアイデアを抽出するか、論文・資料の作成方法、判りやすいプレゼンテーションの仕方等である。現在、当方は総合商社において医療ビジネスに携わっているが、ビジネスプロジェクトの進め方と研究の進め方は共通する部分が多々あり、研究室で身につけたノウハウは、今現在も役立っている。
大学入学時より漠然と大学院に進学する考えを持っていたが、大学4回生時の研究室配属の際、博士・修士の先輩方と接することで、自身も1年という短い期間ではなく複数年研究に携わり多くのことを習得したいと感じ、また、大学で学べることのコアは学部生期間ではなく大学院生期間にあると感じ、大学院進学を決意した。
また、その思いを更に強固にしたのは、大学4回生に企業就職活動を少々行った際、自身の人間としての未熟度、社会人として生き抜いていくためのスキル不足を痛感し、大学院の2年間で自身をレベルアップさせたい、磨きたいという思いである。
当時は就職活動期間が長く、大学院1回生から2回生にかけ就職活動を行った。徹底的に自己分析を行った結果、医学を学んできた自分が最もやりたいことは医療ビジネスであると結論付けた。
医療ビジネスと言っても裾野は広く、どの業界でどのような医療ビジネスに携わるかという観点から、1)総合商社・銀行・コンサル企業での病院・医療機器・医薬品ビジネス、2)グローバル医療機器メーカーでの医療機器マーケティング、3)製薬企業での医薬品マーケティング、4)生命保険会社での医療業界分析に絞り込み、4業界での選考が進んだ。最終的に、総合商社の医療ビジネスはダイナミックで、海外経験が積め、多種多様であると判断し、最も自身を成長させられる刺激的の場であると感じ、伊藤忠商事を選択した。
現在、当方は中国北京において弊社と中国最大国営企業との病院経営分野における共同事業展開を担当、推進している。中国は高齢化の進展に加え、所得水準の向上に伴い生活習慣病患者が増える等、医療・健康分野の需要が拡大しており、日本の治療効果の高い優れた医療技術や、効率的且つ合理的の病院経営ノウハウは、中国医療水準の更なる向上に寄与し得る。
このような社会貢献度の高くダイナミックな事業にアサインすること自体が“やりがい”ではある。しかし、この事業をやり遂げた時に更なる“やりがい”を感じることができると考えており、今はこの事業を推進することは“使命”だと考えている。
2点あり、1点目は縁、2点目は就職。
縁について。率直に言うと、当方大学3回生までは体育会の活動やプライベートを優先し、学業を優先しているとは言い難い状況であった。それ故に、大学4回生から大学院卒業までは真剣に研究活動に打ち込んだ。
この期間はこれまでの人生で最も成長できた期間の1つである。これにはそもそもの研究室選択時における先生方や友人のアドバイスがあり、先生方や友人との出会い、縁は大事にして頂きたい。
就職について。所属学部学科を問わず、一般的に大阪大学卒業生の就職見通しは明るく、自分はこれをやってきたからこの職種につかなければならないという考えに縛られる必要はないと考える。本当にやりたいことは何か、何をやっている時の自分が好きかということを突き詰めて、就職活動を行って頂きたい。
青春。