大阪大学に進学しようと思ったのは、総合大学だからである。看護学を学ぼうと同じ志を持つ人たちはもちろんだが、他にも様々な思いを持った人たちがおり、自分の知らない世界に触れられると思ったのである。
大阪大学での学びを通して俯瞰的、多角的に考える視点が身についたと思う。大学、大学院での講義は看護学だけではなく、他学部、他研究科の学生が参加するものも多く受講していた。学ぶ年次を経るにつれて自分の学ぶ学問分野が「普通」となっていくが、他学部、他研究科の学生との交流を通して、それが普通ではないことに気づくことができた。それと同時に他の学問を修める学生の「普通」の考え方も知ることができ、思考の視野を広げることができたと思う。大阪大学を選んだ理由は、総合大学だからであったが、その選択理由を十分に体感できた。
最も印象に残っているのは、高齢者の看護を学ぶ実習である。印象に残ったエピソードを一つ挙げる。私は認知症の方を担当に受け持った。この方は家族や友人のことは認識しておられたが、私は顔を合わせるたびに自己紹介から始める必要があり、数週間の実習期間中、その状態は続いた。
しかし、実習最終日に最後の挨拶をするために訪れると、姿勢を正し、しっかりとした眼差しで明朗に「冨田くん、しばらくの間お世話になりました。ありがとう。」と仰った。急になぜ私のことを認識できたのかはわからないが、看護師として日々携わることができたからこそ生まれた瞬間だったと思っている。
キャンパスライフを通しての思い出といえば、多彩で多様な友人ができたことである。学部4年次の研究室配属までや大学院での研究室以外では、実は先輩や後輩と交流する機会は少ない。ましてや他学部、他研究科ともなればなおさらである。
私はバレーボール同好会というサークルに所属していた。同期だけでなく、先輩後輩と知り合うことができ、多くの友人を得た。卒業した今でももちろん大切な友人たちである。
大学院に進学した理由は2つある。1つは学部在学中の卒論研究では物足りなさを感じたことである。私が在学中のカリキュラムでは、3年次後期から約1年間の臨地実習があり、4年次後期からようやく卒論研究が始まった。卒論執筆や発表を踏まえると実質的に研究に取り組める期間は半年もなかったため、もっと深く学びたいと思ったのである。 もう一つの理由は、他の学問についても知りたかったことである。
総合大学に在学しているという強みを生かして、様々な分野の知見を得たかったが、学部の後半は看護学に関連した講義が多く、他分野の学問に触れる機会が少なくなっていった。そのため、興味のある講義を受講できる余裕を確保したいと思ったのである。
今の仕事を選んだのは、今まで誰も進んだことのない道を進んでいきたいと思ったからである。私は看護師、保健師の資格を得て、まだまだ未熟ではあるが1つの専門性を身につけたといえる。専門性とは社会で活躍するための武器であると思っている。
看護師、保健師以外の武器を備え、自分の武器を掛け合わせることで、私にしかできないことを実現できた時、今まで誰も進んだことのない道を進めたといえると考えている。そのため、畑違いのIT業界に進むことを決めた。
現在の仕事には日々やりがいを感じている。現在IT企業で勤務しているが、在学中にITを深く学んでいたというわけではないため、日々勉強の毎日である。ただ、勉強することで自分のできることの範囲が着実に広がっており、自分の武器が増えていることにやりがいを感じている。また、ときには医療に関連した業務に携わることもある。これまでに身につけてきた武器を大いに活用できる瞬間であり、そういったときもやりがいを感じる瞬間である。
ぜひ未来を考えながら日々をすごしてほしい。大阪大学は自分の未来を形作ることのできる場所である。今明確な将来像を描いている人にとっては、それを後押ししてくれる師と巡り会うことができ、将来に向けて邁進するための成長ができる環境がある。
また、未来を描こうとしてもまだぼんやりしている人やこれから考えようとしている人にとっては、多彩な友人に出会い、多くの情報に触れ、刺激的な体験をすることで、その素材を集め輪郭を描く環境がある。これらの環境を最大限に活かして、自分の未来のことを考え続けてほしい。
大阪大学は私の人生の大きな分岐点を経験した場所である。学部入学時には、大学院に進学し、現在のようにIT企業に勤めるとは夢にも思わなかった。在学中に学んだことや、出会った人々から多大な影響を受けたことで、今の私がある。
社会に出てみてわかることは、学生だからこそできること、学生しかできないことがたくさんあるということである。その一つが失敗する経験である。果敢なチャレンジと大いなる失敗を学生のうちに経験しておくことは、その後の人生で、チャレンジする機会を得た時の心構えが変わってくる。世間体や見栄は一縷の役にも立たないが、失敗した経験はかけがえのない財産となる。