大阪が好きやねん。
ボクシング部で、誰にも負けないワンツー。
教科書を読んでおしまいという授業がたまにありました。内容を理解するのが難しかったです。ただ、教え方の上手な授業の内容を覚えているかというと、そうでもありませんでした。理解するためには、自分で勉強していかなければならないということに気づかされました。
同期と1つ下の放射の人たちが集まり、旅行(三重や琵琶湖)にいきました。もちろん男と女のいろいろがありましたが、私は蚊帳の外でした。ですが、昼食後の琵琶湖のほとりで行われた“スイカわり”で見事にスイカを割ることができました。スイカを割ることができたのは後にも先にもあの時がはじめてです。学年を超えた交流ができたのは、とても貴重な思い出でした。
仕事をしながら研究をするとなると、自力が必要だと感じていました。大学院での研究はどのように進めていくかしっかりと指導してもらえる教室を選びました。
社会に出たら、自分で考えて、どのようなデータが必要なのかを考えて実行に移す必要があります。技術と知識を身につけるために、大学院に行きました。。。。。これは、建前です。
実は、長い人生、働くのはまだ早いかなと感じていました。
仕事をしながら、問題点や改善する工夫を研究して、実行していきたいと思っていました。技師を選んだのは研究的なことも仕事にできるかなと思ったからです。
日々の仕事はもちろんしっかりとやらなければなりませんが、どうすればもっと改善できるのかを、他職種も交えて議論しながら実施していくことができます。企業に入ったら好き勝手にデータを出したら怒られると思っていました。
臨床の現場ではデータが様々な形であふれています。それらをどう活用してこれからの医療につなげていくか、新しい方法を開発していくことは私の使命だと考えています。
幸い議論してくれる同僚や医師が近くにいますので、次はどうやって進めていこうか、とか、これをどうしようかなど、議論します。様々な課題について解決しようと取り組むときにやりがいを感じます。おかげ様で少しずつ論文も書いていけるようになりました。アクセプトの知らせを受けたときの嬉しさは半端ないです。
大学時代はとても自由で、とても楽しかった思い出があります。友達と明け方まで飲み明かし、突然旅行に行くなど、とても楽しかったです。それと同時にもう少しこれを勉強しておけば、よかったなと思うことがあります。
それは英語とプログラミングです。社会に出たときにまず感じたのは、ここは戦場だなと感じました。先輩も同僚も、後輩も自分にメリットがあることは真剣に向き合ってくれますが、なければ向き合ってくれません。戦場で、ゴム鉄砲で戦うのか、それとも戦車とバズーカをもって戦うのかは、大学の学生時代の学び方が大きく関わってくると思います。是非、自分なりの武器を磨いて、戦場に羽ばたいて欲しいと思います。
大阪大学が掲げているもので覚えている言葉があります。「地域に生き世界に伸びる」です。私の研究活動もこの言葉が後押ししてくれました。社会人としての基礎を作ってくれたところが、大阪大学です。
大学1年から修士2年の6年間、阪急石橋駅の近くに住みました。石橋駅周辺は飲み屋が多いのですが、是非、“かさ家”、“とり竹”、“虎次郎“を利用してください。大将・女将さん達、皆優しいです。